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ジョン・ボルトン

ジョン・ボルトン回顧録 トランプ大統領との453日 単行本 – 2020/10/7
ジョンボルトンといえば私の記憶にあるのは強硬で攻撃的な保守派のアメリカ国際連合大使です。軍事おたくの頑固じじいで戦争大好きという印象です。当たり前ですが、私の印象だけのおじさんではアメリカ国際連合大使にはなれません。その辺のうるさいじじいということになります。そこはそれ、エリートなんですね。イエール大学法学大学院卒業の弁護士ざんす。クリントン夫妻の後輩です。
この本を読んで見方が変わりました。彼は政治家ではなく官僚またはビジネスエリートです。その視点は強硬ながらアメリカの国益を第一に考える公務員です。公務員の立場を弁えています。そんな文言が多くみられます。トランプ大統領の一次政権で大統領国家安全保障担当補佐官をしていた時の回顧録です。
彼はトランプ大統領を全く尊敬していないように見受けられます。しかし、彼は大統領と国家に使える公務員としての職務を全うすることが自分の使命だと述べています。それは、考えうる選択肢を大統領に提供し、その選択肢を評価すること。決断は選挙によって国民に選ばれた大統領がすることで決断の評価はしない。まさに公務員の鑑です。本にした時点で自分に不利な内容は消していると思いますが、そこの流れている考え方は上に述べたようなものです。
国民に選ばれた大統領には決断する権利と義務があり、それを侵害することは大統領より優秀である公務員の自分でもしてはいけない。国民の信託を重く見る考え方です。大統領に良い決断を実行させることが職務で決断に口は挟まない。殿様と家来がはっきりしてますね。
日本人的に違和感を覚えたのは、「自分が値する役職以外は受けない」という考え方です。日本人的にはどんな役職でも上位者から望まれれば、その役職を全うし成果を出すのが素晴らしいという考え方になりがちです。彼は自分にふさわしい役職でなければ、受けるべきではない。理由としては自分の力を発揮できないからで実務遂行する意味がないと考えているようです。さすが個人主義のアメリカ人というようなところです。そのような気概は日本人にもこれからはあった方がいいかなと思いました。
全編を通してトランプ大統領を尊敬している節はゼロですが、自分は可能な限り職務を全うしたし、最善を尽くしたというところがこの本の言いたいところかな。
ジョン・ボルトン回顧録 トランプ大統領との453日 単行本 – 2020/10/7
説明
発売1週間で78万部突破し、世界中で話題の、前大統領補佐官による暴露本。
注目すべきは、各国要人との詳細なやり取りで、日本に対する言及も140か所以上に及ぶ。
安部首相や谷内正太郎氏との生々しい会話も頻繁に登場し、日米外交の裏側が詳細に語られる。
ジョン・ロバート・ボルトン
アメリカ合衆国の法律家、外交官。アメリカ合衆国国際連合大使、国家安全保障問題担当大統領補佐官を歴任した。1970年にイェール大学を最優等(summa cum laude)で卒業、1974年同大学イェール・ロー・スクール修了(法務博士 J.D.)。ロースクールでは後の最高裁判事のクラレンス・トーマスと同じクラスであり、またビル・クリントン、ヒラリー・クリントンも同時期に在学していた。
ワシントンの法律事務所勤務、保守派の大御所的存在ジェシー・ヘルムズ上院議員の補佐官を経て、1981年のレーガン政権の8年間、国際開発庁および司法省に勤務し、エドウィン・ミース司法長官と行動を共にした。
1989年から1993年まで、ジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュ政権で国務次官補を務め、ジェイムズ・ベイカー国務長官の知遇を得た。担当は対国際連合。クリントン政権期は保守系シンクタンクのアメリカン・エンタープライズ公共政策研究所副所長に就任し、タカ派の立場からクリントン政権の外交政策に対して一貫して批判を続けた。1997年に設立された新保守主義的な外交政策を主張するアメリカ新世紀プロジェクト(PNAC)にも参加した。
ブッシュ政権
2001年、ジョージ・ウォーカー・ブッシュ政権によって国務次官(軍備管理・国際安全保障担当)に任命され、北朝鮮との六者会合やイランの核開発問題などを担当したが、強硬なスタイルは多くの敵を作った。イランの外務省はボルトンを「無作法で非外交的」と非難した。また北朝鮮を巡っては、時の総書記金正日を「圧政的な独裁者」と呼び、北朝鮮で生きることは「地獄の悪夢」などと発言したことから、北朝鮮はボルトンを「人間のクズ」(human scum)と激しく批判した。ボルトンの発言は非外交的だとして議会などから問題視された。また、開戦への慎重論が少なくなかった国務省内の対イラク開戦推進派としてイラク戦争への流れをつくり、ブッシュ政権を去った後もイラク戦争の正当性を主張している。イラク戦争の推進やPNACへの参加などからネオコンの代表的な人物とみなされることが多いが、ボルトン自身は高校時代から生粋の保守派であるため、左翼からの転向者を意味する「ネオコン」と呼ばれることを嫌っている。
2005年、駐国際連合アメリカ大使に推された。ここではヘンリー・キッシンジャー、ジェイムズ・ベイカー、ローレンス・イーグルバーガー、ジョージ・シュルツ、アレクサンダー・ヘイグの5人もの共和党政権における国務長官経験者が議会にボルトンを推薦する書簡を送るなど極めて異例の推薦を受けたが[1]、民主党がフィリバスターで対抗するなど強い反発を浴びた。ブッシュは反対を押し切って8月に任命を強行(休会任命の為未承認)。上院が承認しなかった為、2006年12月4日に辞任を表明し年内に任期満了で退任した。在任中は北朝鮮とイランの圧政を国務次官時代と同様一貫して激しく批判しており、両国に対する強硬路線を主導した。自身と米国政府が推薦した大韓民国出身の潘基文が国連事務総長に当選した際は歓迎している。しかし、ブルー・チーム(英語版)と呼ばれる親台派でもあるため、潘基文が中華民国(台湾)の加盟を拒否した際はこれを批判した。
2006年7月5日に北朝鮮が行ったテポドン2号発射及び、同年10月9日に強行された核実験の後は安倍晋三(当時内閣官房長官)や外務大臣(当時)の麻生太郎と共に北朝鮮への制裁路線を推進。10月15日には対北制裁決議の採択を実現する。バンコ・デルタ・アジアの北の不正資金凍結も断行した。ブッシュ政権が2期目に押し進めた対北融和路線も激しく批判。拉致被害者家族からの信頼も厚く、2007年11月に北朝鮮による拉致被害者家族連絡会・北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会が訪米した際、最初に面会した要人である。また、北朝鮮の脅威に対抗するために日本と韓国が核武装を検討することも主張していた。
トランプ政権
就任前
かねてから2016年アメリカ合衆国大統領選挙に出馬したドナルド・トランプはボルトンの外交手腕を買って国務長官候補として検討しており[10]、政権移行チームでも名前が挙がっていた。
2017年にボルトンはウォール・ストリート・ジャーナル紙で在沖米軍の台湾への一部移転を主張し[14]、2018年にはニューヨーク・タイムズ紙でイランへの爆撃やウォール・ストリート・ジャーナル紙で北朝鮮への先制攻撃も主張していた。
2018年3月にトランプ大統領は自身のTwitterにおいてハーバート・マクマスター国家安全保障問題担当大統領補佐官を解任し、後任にボルトンを充てると表明した。
大統領補佐官
2018年4月13日に起きたアメリカ・イギリス・フランスによるシリアのバッシャール・アサド政権への軍事攻撃では、国家安保担当補佐官に着任したばかりのボルトンがイランと北朝鮮への威嚇を狙って後押ししたとされる[17]。同年5月にはそのタカ派ぶりで北朝鮮から名指しで批判された。同年9月にはイランへの攻撃計画準備も国防総省に指示したと報じられた。
2019年2月に第2回米朝首脳会談が決裂した際はボルトンの介入によるものとする批判が韓国政府関係者から起き、同年4月20日には北朝鮮の崔善姫外務次官はボルトンを「間抜け」と批判した。また、同年5月27日、北朝鮮の外務省報道官は、短距離弾道ミサイルの発射実験を国連制裁決議違反として批判したボルトンに対して「欠陥人間」「一刻も早く消えるべきだ」との論評を行っている。
2019年4月、マイアミで行われたピッグス湾事件関係者の集会で「今日、我々は万人の前で誇りをもってモンロー主義は健在であると宣言する」と演説した。また、西半球から社会主義は駆逐せねばならないとしてキューバのミゲル・ディアス=カネル、ベネズエラのニコラス・マドゥロ、ニカラグアのダニエル・オルテガを「3人の愚かな社会主義者」と呼び、この3カ国に対する経済制裁を17日に発表した。
2019年5月、ワシントンD.C.で1979年の米台断交後初の安全保障担当高官接触だった台湾国家安全会議秘書長の李大維(中国語版)との会談を行った。
2019年6月20日、イスラム革命防衛隊による米軍無人偵察機の撃墜を受けてトランプ大統領による対イラン軍事行動決定を後押しするも攻撃10分前になって撤回されることとなった。イランのモハンマド・ジャヴァード・ザリーフ外相からは同様にイランに敵対的なイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相やサウジアラビアのムハンマド・ビン・サルマーン皇太子とともに「Bチーム」(類似するチームB(英語版)とは無関係)と度々呼ばれている。
2019年6月27日、ベネズエラのニコラス・マドゥロ政権の閣僚から同国に対するクーデター計画に関わっていたと名指しで非難された(クーデター計画は阻止されている)。ボルトン自身は2022年7月12日にCNNに出演した際、ベネズエラの野党勢力によるクーデター計画に関与したが成功しなかったことを認めている。
2019年7月22日、訪日。河野太郎外相や岩屋毅防衛相らとホルムズ海峡を航行する民間船舶の安全確保を図るための有志連合や日米同盟の役割、日韓関係などについて会談を行った。続いて23日には韓国入りし、康京和外相、鄭義溶国家安保室長、鄭景斗国防相らとホルムズ海峡や朝鮮半島問題、米韓防衛費分担金特別協定改定などについて会談を行った。また、野党である自由韓国党の羅卿瑗も会談を行ったことを明かしている。
政権離脱
2019年9月10日、国家安全保障問題担当大統領補佐官を解任された。これについて、トランプは自分が辞任を進言したと主張しているが、ボルトンは自分の意思で辞任を届け出た、としており、対立がみられる。トランプは北朝鮮、イラン、ベネズエラなどをめぐって意見の対立があったと明かした。同月19日、トランプは、後任にロバート・オブライエンを指名した。
2019年7月にはトランプがウクライナへの軍事援助と引き換えに同国に政敵の調査を持ち掛けたという疑惑が持ち上がり、同年中にトランプを弾劾裁判にかける事態へと発展した(ドナルド・トランプとウクライナ論争を参照)。2020年1月6日、ボルトンは、議会上院から召喚状が出されれば弾劾裁判で証言に応じることを表明したが、ボルトンなどの証人招致を求める動議は共和党の反対多数で否決されたため実現せず、そのままトランプには無罪評決が下った。