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井沢元彦

「言霊の国」解体新書(小学館文庫) (小学館文庫 R い- 1-12) 文庫 – 1998/5/9
作者の歴史書は読んでいておもしろい。理由は作者が小説家だからだと思います。読んで楽しい歴史書をたくさん書いている作者です。この作者の方針というか基本理念はいくつかあるんですが、その中で大きなものの一つが「言霊」です。
「言霊」といえば言葉に書いて字のごとく、「言葉に魂が宿る」という日本の考え方です。海外にも類似した考え方はあるとは思います。もっと具体的に言うと「口に出して話したことが実際に起きてしまう」という超常現象です。超常現象ですから科学的に教化された現在の日本国民は言霊を信じていません。それは大方の人々はそう思っているでしょう。でも作者の井沢さんはそうは思っていません。この言霊思想は現代の日本にも生きていると論じています。例えば戦争、いわゆる第二次世界大戦で日本は激烈な敗北を経験しました。その反省を踏まえて日本国民は戦争を絶対にしたくないという心情を持っています。戦争反対です。
言霊論で言えば「戦争」という言葉を口にしただけで「戦争」が起きてしまうという論理になってしまいます。「そんなバカな」と誰もが思うでしょう。私もそう思います。でもよく考えると「自衛隊」とかやっぱり変です。「自衛隊」は「戦争をする軍隊」ではありません。こんな屁理屈は小学生でも通用しません。例えば、「ナイフ」。例えば私が「ナイフ」を持っていて周りの人に脅威を与えた場合に、私の釈明はこうです。「この金属の薄い物体は食事するときの食材を切るものでナイフではありません。他の人々の脅威にはなりません。」「そんなバカな」と普通思いますが、日本国内では「そうだね、軍隊じゃないよね」で納得されています。
そこで国会議員の誰かが「戦争が起きた時のために備えた方が良い」と意見すると、それを考える人間は戦争を望むものだとみなすのが、日本人である某党派の国会議員の常識です。それで政府は巧妙に「戦争という言葉を使わない」「軍隊という言葉を使わない」「交戦という言葉を使わない」などの技術を駆使して軍事力を整えようとします。そういうところを作者は現代においても、日本には言論の自由がないというふうに認識しています。戦争は内戦は別とすれば、日本だけで起こるものではありません。内戦以外の戦争は必ず相手の国やグループがあるものです。
よく子供の喧嘩などに例えますが、自分は何もしなくても「相手が攻めてきた時どうするんだ」という問題はあります。ただ現代日本では相手が攻めてきた時にどうしようかと考えること、どのように対応するか準備することは戦争を望むことと同じ意味だと定義している人々もいらっしゃいます。それで政府は「戦争」と言う言葉を使わないようになり、攻められた時のことを準備していないふりをするおかしな国です。
作者の井沢氏はその原因は日本古来からの言霊思想にあると論じています。
全面的に賛成するのはちょっと躊躇しますが、言霊の思想が日本人の心の奥に潜んでいることは認めざるを得ません。例えば今日飛行機に乗る友人に「飛行機が落ちちゃったりして」とか「ロシアの戦闘機に撃墜されちゃったりして」などとは冗談でも言いません。それは口に出してしまうとその通りになるというよりは、万が一その事象が起きた時に責任があるという気持ちになるからではないでしょうか。それだけでも日本人は言霊に支配されているのかもしれません。
「言霊の国」解体新書(小学館文庫) (小学館文庫 R い- 1-12) 文庫 – 1998/5/9
説明
我々の住む国はなぜ「世界の非常識国家」になったか
言霊(コトダマ)の国に「言論の自由」はない。日本人を支配する「言霊」信仰のもとでは、論理的な予測と希望的な観測が混同され、また、言葉を言いかえれば実体も変わると信じられている。これでは戦時中と同じではないか。本当の意味での論理的思考ができず、日本を「世界の非常識国家」にしてしまったコトダマイストたちの言論統制の実態に迫り、身近な題材をテーマにしながらわかりやすく「解体」してゆく。
井沢 元彦
昭和29年、名古屋市生まれ。早大法学部卒。TBS入社後、報道局放送記者時代『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞受賞。その後退社し執筆活動に専念。歴史推理・ノンフィクションに独自の世界を開拓。